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横浜地方裁判所 昭和57年(わ)981号 判決

主文

被告人を懲役六月及び罰金五万円に処する。

未決勾留日数中六〇日を右懲役刑に算入する。

右罰金を完納することができないときは、金二〇〇〇円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置する。

理由

(犯行に至る経緯)

被告人は、昭和三八年三月一一日甲女と結婚し、同三九年九月二〇日に長男Aをもうけたが、同四六年五月一八日に離婚し、靴の行商をしながら以後独身生活を続けているところ、被告人は犬好きの性格で、昭和五六年六月ころからドーベルマンピンシェル犬(以下、「ドーベルマン」という。)を飼いはじめたが、同犬は動物病院での断耳手術の経過が思わしくなく、同年九月ころに同病院で死亡してしまつたので、被告人はその代償として昭和五七年二月三日当時生後五か月(昭和五六年七月一〇日生)の本件犯行に使われた雄のドーベルマンを同病院より譲受けるに至つた。被告人は、右ドーベルマンを長男と同じ「A」と名付け、家に居る時は自宅風呂場で、行商に出る時は行商に使用する自家用車に乗せるなどして連れ歩き、また、ドーベルマンが軍用犬として開発された用途犬で飼主の命令に忠実に従う性質を有することを知つていたので、同犬を被告人の指図通り行動するよう飼い馴し、昭和五七年二月二三日ころからは同犬を安達俊夫の経営する第三鎌倉警察犬訓練所に預け訓練を受けさせていた。本件犯行の行われた同年五月一七日は午前中に右訓練所より同犬を引き取り、同日午後四時ころ、ビール一リットル程飲んだ後、自宅近くの保土ケ谷公園に散歩に連れて行き、そこで綱をはずし、同犬を遊ばせている間自らは途中で買い求めた七二〇ミリリットル入りウイスキーの瓶約半分近くをストレートで飲み、その後、付近が暗くなりかけたところ、被告人は綱をはずしたまま同犬を連れて家路についてが、本件現場の神奈川県立保土ケ谷公園内軟式野球場南西側脇の横浜市保土ケ谷区仏向町一〇〇四番地空地付近で酔いがまわつたため同犬を傍において横になつていたところ、午後七時一〇分ころ四名の女性が、現場付近を話しながら歩いて来る声に気付くや、酩酊し気が大きくなつていたことなどから、同女らに同犬を嗾しかけて脅し、からかつてやろうと考え、自己は繁みにひそんで身を隠したまま同犬に対し、同女らに走り寄るように「ハイ」と号令し嗾かけた。被告人は、犬に急に暗闇から近寄られた同女らがこもごも悲鳴をあげて逃げ回つている姿におもしろみを覚え、戻つてくる同犬に対し数回同様の号令をかけ、同女らに嗾しかけた。同女らが逃げて行つた後、被告人は再びその場に横になつた。

(罪となるべき事実)

被告人は、

第一  昭和五七年五月一七日午後七時二〇分ころ、右横浜市保土ケ谷区仏向町一、〇〇四番地の空地において、通行人及川栄子(当四五年)が友人の目黒順子と共に右現場付近を話しながら横浜市道丙二四号線方向から保土ケ谷公園内野球場のネットフェンスに添いさらに横浜市道丙一五線に向つて歩いて来るのに気付き、及川らに対し、前記四名の女性に対すると同様自己は繁みに身をひそめて、その所有するドーベルマン(当生後一〇月体重二四キログラム、体高八〇センチ、体長八〇センチ、毛色黒茶。)が暗闇から突然出て来て人に近づけば一般人ことに女性は驚愕し怖がること、同犬は人間が怖がつて騒ぎ立てれば興奮して人間に危害を加えるかもしれない性質を有することを十分知りつつも、これを意に介することなく、同犬に「ハイ」と号令をかけ嗾しかけて及川らに走り寄らせたところ、同犬が及川の右大腿部に咬みつき、同女が悲鳴をあげるとともに被告人のひそむ木の繁みに向かつて「何するの」「犬が咬んだじやないの」等と強く抗議するや、被告人は同女に近寄り、同女に対し、「(傷を)見せてみろ」等と申し向けたところ、同女から「人に見せられる場所じやない」などと言われてこれを拒絶されるやこれに憤激し、同犬の前記行動に鑑み、被告人が同犬に「ハイ」と声を掛けて対象物を襲うよう指図すればこれに咬みつくことがあることを認識しながら、あえて、これを認容し、同犬から一メートルも離れていない同女に対し、同犬に向かつて「ハイ」と号令をかけ、同犬をして同女の下腿部に咬みつかせる暴行を加え、よつて、同女に加療約四日間を要する右大腿部及び右下腿咬傷の傷害を負わせた

第二  同年二月三日ころ、住居地において、生後九一日以上の犬である右ドーベルマンを所有したが、

一  右犬につき、同日から三〇日以内に、その所在地を管轄する旭保健所長に所定の登録を申請しなかつた

二  右犬につき、過去六か月以内に狂犬病の予防注射を受けたかどうか明らかでないのに、同日より三〇日以内に狂犬病の予防注射を受けさせなかつた

ものである。

(証拠の標目)〈省略〉

(法令の適用)

被告人の判示第一の所為は包括して刑法第二〇四条、罰金等臨時措置法三条一項一号に、判示第二の一の所為は狂犬病予防法第二七条第一項第一号、第四条第一項に、判示第二の二の所為は同法第二七条第一項第二号、第五条第一項にそれぞれ該当するので判示第一の罪について所定刑中懲役刑を選択し、以上は刑法四五条前段の併合罪であるから、罰金刑については同法四八条一項によりこれを右懲役刑と併科することとし、同条二項により判示第二の一、第二の二の各罪所定の罰金額を合算し、その刑期及び金額の範囲内で被告人を懲役六月及び罰金五万円に処し、同法二一条を適用して末決勾留日数のうち六〇日を右懲役刑に算入し、右の罰金を完納することができないときは同法一八条により金二〇〇〇円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置することとする。

(量刑の事情)

判示第一の犯行は、軍用犬として開発され、外見上も攻撃性のある犬でないかとの不安を抱かせる容姿をしたドーベルマンを、暗がりにおいて、たまたま通行中の女性に嗾しかけ咬みつかせた事案であり、一般人しかも女性が夜間暗がりなどで、身のまわりに突然体格の大きな犬に走り寄られれば、驚きと恐怖で悲鳴をあげたり逃げようとして騒ぎ立て、そのため犬の方も興奮し犬のもつている条件反射的動作としてその人を咬むということが十分ありうるのに、被告人は同犬が飼主の命令に忠実な性質を有することを利用し、また人間が騒ぐと興奮しやすい性質であることを十分知つた上で自分は草木の繁つた暗闇にひそんで、通行中の女性を狙つては同犬を嗾しかけ、女性らが悲鳴をあげて逃げ廻るのを見ては楽しむという甚だ卑劣・陰湿な所為に出、遂には同犬が被害者に咬みつき、これに抗議されるや、謝罪するどころか逆に居直つて更に犬を嗾しかけて判示の犯行に及んでいるなどその手段、態様は悪質なものと言わざるを得ない。被害者に対し足部に傷害を負わせた(右大腿部の咬傷は直径一〇センチ位の楕円形内の内出血に犬の牙跡が五ケ所位あり、右下腿部の咬傷はL型の縦二センチ、横一センチ、深さ一センチ位で皮膚が完全に咬みちぎられたような状態となつており、三針縫合を要した。)のみならず強い精神的衝撃をも与えており、被害者の被害感情にはなお厳しいものがある。しかも、被告人は再三注意を受けていたにもかかわらず、同犬を綱をつけないまま連れ歩くことが多く、犯行翌朝も同犬を綱をつけず保土ケ谷公園内を散歩させたために同犬が女性に咬みつき傷を負わせており、さらに前記犯行直前の女性数名に対する同犬を嗾しかけた行為並びに判示第二の各犯行を含め、被告人には犬の飼主としてのモラルに欠ける点が多く、また、社会に与えた不安も大きく、以上諸事情を考え合わせるならば、被告人の本件犯行について厳しく非難されなければならないものがある。そこで、被告人が、当公判廷において反省悔悟の情を示していること、友人を通じ見舞金を被害者に支払つていること、本件犯行に使用したドーベルマンの所有権を放棄し、前記訓練所にその措置をゆだねていること、飲酒を慎しむことを誓つていることなど有利な情状をも考慮に入れ、その他諸般の情状を総合して主文掲記の刑に処するのが相当と思料した次第である。

よつて主文のとおり判決する。

(朝岡智幸)

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